free as in air

2007|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|09|11|12|
2012|03|04|05|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|03|04|06|09|
トップ «前の日記(2007-10-23) 最新 次の日記(2007-10-25)» /編集

2007-10-24 [長年日記]

§ [tag] レジデント初期研修用資料: 流す会話と切る会話

 *Backtrace*経由(とか書くようにした方がいいんだろうたぶん)。

 最近どっか(忘れた)で読んだLinuxはダメだったが故に成功したんじゃないか話(という読み方も一面的だと思うけど)と類似性を感じる。

 しかし逆にケツが決まってるモノとバザールは相容れない部分もあるんじゃないか。だからRubyとその周辺からgdgd感を取ったら、何も残らないんじゃないか。 そりゃ慶賀も至るよ。

 一種の漫才か。

 追記:忘れてた話関連のアンカテのまとめみたいなの

 漫才ではないな。漫才とか落語とかって、終わりに向かって進んでいくじゃん。枯山水みたいに、山に始まり川となりて海に至る、みたいな。そりゃ伽藍だ。

 もう会話と関係ないし。

 あ、いや関係あるか。会話を続けたかったら、言外に色々思うことはあっても全部は言わんこった。本当はもうちょっと変えたいと思ってても、まず今んとこでコミットしとっかどのみち/trunk|HEAD/だし、とコミットしちまう潔さがバザールなのだ。たぶん。