現状だとCygwinで何か変なことになる様子なので(要はEncoding::ASCII_8BITしか考慮してないので他のUTF-8と互換性のない文字コード、例えばus-asciiだと変換しようとした時点でエラーになる)、
でいいんじゃないのか。
主にまだWindowsでテストしてない。
ちなみに文字コード変換に手を出したきっかけはSwingで何気なくボタン出したときに文字化けしてたからだと思う。たぶん。
追記:しかし1.9.1リリース時点の仕様でもう一度考え直すことになりそうな予感。
ソフトウェア業界があんまいけてないのって、傍目にはコモディティ化しようとしているにもかかわらず、生産の現場はそれに対応できてないからじゃないのかなあ、とか思った(リンクは適切じゃないが)。
仕様書うざい→仕様記述言語とか最近考えていたのだが、それってつまりBPELとかそんなん、と言ってもBPELと諸々の仕様書はあんまり同じ物ではないわけだけど、仕様書をバラして組み直せばBPELのようなものになるんだよな。というか、抽象レベルで設計したとして、そこからだんだん低レベルに落としていけば最終的にはコード(むしろバイナリかも)になるはずで、ある種のコードの自動生成は現在でも出来ているわけで、出来ないことはないよな通り一遍のことは、と思うのだが。
まあそういうことができるソフトウェアだけじゃない気もするけど。言語とか。
そもそもどこに向かってソフトを作るのかとかとか、ソフトウェアに何をして欲しいかとか、ソフトウェアを作ることで何を実現したいかとか。
まとめません。
機械的に判断できるであろうと思われる知的生産を可能な限り人間と置き換えたいというのと価値創造とは全く別じゃないとか。
アジャイルってコード至上主義なんじゃないかなあとか。
じゃあプログラマにとってアジャイル自体に価値があるなら、工業化ってプログラマにとってはうれしくないんじゃないかなあとか。コード書いてる間が至福の時だとかね。
高度に発達した情報化社会(イーガンの順列都市ぐらい)においてプログラマの仕事って一体何だろうとか。
それはそれとしてRESTの流行を見ると分散オブジェクトの流行ももう少しだなあという気がせんでもない。計算機資源とか通信コストを誰が持つかとかどう割り当てるかとか。まあそれってRESTでも問題だと思うんだけど。オープンなAPIとか。突き詰めるとコストなわけで、じゃあ収入があればいいじゃんとか。APIの呼び出し自体に価値があるか。価値って何さ。あるAPIを呼び出すとこの結果が帰ってくることがわかってるもの(数学の問題みたいな)はある意味わかりやすい。その辺の検索とか不確実性を伴う物はどうなのか。
まとめません。
追記:手を動かさないで吐く妄言は恥ずかしいな、実に。そういえばtwitterで@t_wadaにBuriとマジカの違いを教えてもらったのを思い出す。 マジカとBuriでは対象とする「もの」の単位(視点?)が微妙に異なるので、そのまま変換できるとは考えないほうが良いと思う。 マジカはヒト視点、Buriはモノ視点。乱暴にくくると、Buriはステートマシンの一種だと考えた方がわかりやすい。。 だから、マジカシートがある、と。モノの状態変化へのアクタの参与という視点を得るために。。
単純にここだけ見てもtwitter面白いよ、という話でもあるんだけど、それはそれとして、マジカは人が読むもの、Buri(というかワークステートエンジンとかそれ用の定義)は機械にも読ませるものという言い換えも可能なのかなと。何が言いたいかというと、まあよくわからないわけだが。そもそもBuri用の定義を書けばいいんじゃねとか、マジカ→Buriを機械的にやるには何が欲しいのかなとか。いや、それこそ、ユーザに直接SQL打ってもらえばいいんじゃねえのとか。OODBって結局状態持っちゃうじゃんとか、でもOODBだと例えばUMLのユースケース図ぐらいの抽象度をそのまま再現できるんじゃないかとか、むしろ言語かつ環境かつDBみたいなのがあればいいのかとか。RDBのViewとしてのOODBとか。
……トスコン(TOSCON)?行ってみようかなあ。懇親会はどうしたものかよくわからないけど。
ふと思ったけどオープンソース「ソフトウェア」ではないのかな。フリーソフトウェアとか。オープンライセンスの話もするとか?
どうでもいい追記:はてなによるとオープンソースカンファレンスはOSCらしい。
ゲット。下にあるのはThinkpad USBトラベルキーボード(US配列)。
カルキュレイティング・インフィニティー(ザ・デリンジャー・エスケイプ・プラン)
わざわざディスクを買うのは物が好きだからだと思うけど、本気で如何に消費するかを考える時代になりつつあるな、と今更思う。反面、そんなことを考えるのはまだ極一部だとも思う。
正直、わかってる人はもうわかってて、わかってない人は俺が言ってもわからんと思うが。
俺のつぶやき。/非言語型プログラミング言語/(表層は|の?)好み
あともう一個くらいどっかで何か見たような…。まっちゃだいふくの日記かな。
好きか嫌いか、の軸があるとして(そもそも一本の軸かどうか怪しいが。好きで嫌いとか。)、良し悪しの軸とはそれは当然別。関数型言語は考えることが少ないのが「良い」が、それが「好き」かどうかはまた別だ。
前どっかに書いたかな。
エクセルが良いならエクセルにしなよ。
理解のしやすさ、しにくさとか。
人次第のこと。
なぜ軸のその方向に傾くかの理由。
LDRは素晴らしいけどフィード整理はダメだ→OPMLでエクスポートして編集してインポート。と同じで、エクセルがいい人にはエクセルで、のためにCSVとかではき出したりして。フローで処理して欲しいとか不整合が起きかねないとか内部統制とかで無理なケースも多々あろうかとは思うけど。
お仕着せの分析じゃダメなのかなーとか思う時もある。いやダメじゃないんだろうけど。3つの知識が必要です、ドメインの知識と〜とかどっかで読んだな。ドメインの知識。でも毎日何年、何十年とやってるわけじゃないじゃん、言ってもさ。
マクロ(VBA的な意味で)が欲しいの?拡張できるほうがいいって、誰かも言ってたね。Martinじゃねえや。Paulか?
表層は別だけどロジックは同じ。で、分離するための手段色々。
やっぱ表層をユーザ自身が作れるのが一番いいんだよねー。タイピストを挿んだ方がコスト的にはいいのかもしれんが(古事的な意味で)。
で、たとえば・・・、あと結局人月じゃんとか(どこだっけ。まあ要は大部分が人件費なので、早くやれ(もしくは安い人間を使え)とかそんなの(読んだのとなんか違うと思う))。いつかはコモディティ化するとして、何十年か(artonさん的には30年?)はまだ余裕があるげなわけで、じゃあ今XP(エクストリームと言いたいだけですサーセン)で開発費を圧縮できるなら、商売的には、旧態然としたとこよりちょっとだけ安く値段を設定しとくのをコモディティ化するまで続けていけば、コモディティ化するまではずっと勝ち続けられるわけだ。どうにも変われなそうなとこを色々見てきているわけで。楽に変わるには小さくやることが重要そうだな、という気はする。もう三人でいいじゃん。三人寄れば文殊の知恵。マイノリティ・レポートでも三人だったし。
とはいえ、IT化っていうと、ある意味では、ツールで、仕事が、変わります、ということだから30年なんかいらんのかもしれん。んなわきゃーないか。わかんない。
結局要件定義して論理設計してERD書いて物理設計してコード書いて、している(はぶにっきで読んだのかな)。要件定義はよくわかんないけど(アジャイルだと若干何か違うかも)、そっから先は変わってるんじゃあないかなあとか。少なくとも自力テーブルルックアップからRDBMSに変わってるし、真っ当に正規化と、そんでステートマシンとか入れるなら、見通しはかなり良くなってるんじゃないかな。あとMVCにして、それぞれをどんどんどんどん切り離していく(分散とかRESTとか)。特化するという点だとロジックだけ書く人がいてもいいし、DBだけ設計・管理する人がいてもいいし、ビューだけいっぱい作る人がいてもいい。会社がバラバラだっていい。どうも、もう、そうなりつつあるみたいだけど。
魚の釣り方が知りたいんじゃなくてお腹一杯になりたいんだという話だと、あなたお金だけ出してください、こっちで運用します、というのが最速なはずなのにみんな働きたいんだな。
あとチーム力と個人力とか環境とか。進化に必要な環境ってのがあんのかな。
まあごちゃごちゃ。なんでこんな事考えてんのかよくわかんないが。しかし、言うまでもないことしか書いてないな。
引用はしないけれど。単に浸透したということじゃないのかな。少なくともオブジェクト指向言語でワイワイやってる連中はみんな普通に使っていると思うよ、と期待しているのだけど。
Lispじゃない関数指向というとつまり、強い型付けの静的型言語かな。HaskellかScalaかOCaml(俺の見てる範囲ではなんか微妙に流行ってないけど)かErlang。
単に、なんとか指向とかに夢を見てないか、でなきゃ、単なるアンチテーゼとしてのFPなんじゃないの。好きなだけ変えたらええやん、メタプログラミングもしたらええやんという文化に対しては、コンパイルが通った段階で完成していることも少なくないというセールスポイントは魅力だし。
結局のところパラダイムが変わって嬉しいのって、新しいぜヒャッホウってのと、問題に対するアプローチの方法が増えるところで、でもOO向きの課題とFP向きの課題ってのはあると思うし、パラダイムの理解のしやすさが人によって違うので、OOの何が嬉しいのかわからねえがFPのうれしさは理解できるという人がいてもおかしくはない。
乗り換える積極的な理由はないかな。Elispの互換性がどうしても心配とか。
一応書いておくけど、みんなが想像しているだろうレベルよりは意外と(?)安定していると思うよ。
メモ:iptablesの設定例
大仰な題の割にたいした話じゃないんだけど、何のためにそうするかをわかってやるか、そうでないかの差じゃないのか。まあチューリングマシンで意識を実装するのは可能なんだろうけど、話はそれからだよね。
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パッション!(意味はない)
俺様主義と1つの言語に囲い込まれるリスクに関連性がありそうと推測できるロジックが出てきたら、俺がやることはなくなるな。
その推論も自然言語をまともに扱えるようにならないと話にならないな。→言語で規定される部分は大きいのかな。推論は式にできるはずだし、じゃあ自然言語は式に出来るだろう。→yuguiの書いてるPerlに比べるとRubyは…
を見るとプログラミング言語でも言語に規定される部分がありそうだ。→それってPerlにはパラダイムがないからじゃね?
とかいう妄想をしていただけると本当に俺のやることがなくなっていい感じだな、と。
むしろ俺涙目か。
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