今読むとよくわからないエントリをartonさんの例によって即興的なエントリに捕獲されたわけだけど、なんで嬉しくないのか自分でよくわかってない気がする。もしくは、何が嬉しいのか。
要は自分の好きなように利益を分配したいわけだ。それができないから嬉しくないと。有用なエントリとか、この人は応援しておこうとかいう場合に、その人がAmazonアソシエイトしてるなら、迂遠な方法で応援できる。でもいくらにもならないアソシエイトがモチベーションとなり得るか微妙か。そこで、はてなポイントですよとか。脆弱性の売買とか。正当か不当か永久に判断できないような話だけど、運用してみたらいつかわかるんだろうか。この方法は人間向きではないとか。でも人間ったって色々いるわけで。
ところで俺はOpenBSDをはじめ他の幾つかのFLOSSに寄付したり、あとその辺のフリーソフトにカンパしたり普通にするわけで、別に応援は影ながらでなくてもいいのだ。方法はpaypalだったりクレジットカードだったりネットから銀行振込だったりするわけで、やはりネットとデジタルなインフラは偉大なのだとは思う。
ところで人の少なさ=総資産の少なさである。たぶん。だいたい、本なんか買うときは、できれば本屋で買いたいのだ。立ち読みで済ますかもしんないし。紙のほうがいい。すぐ手に入るし。でも本屋も品揃え重要だし棚作り重要だし店員重要なわけだ。しかし店員のモチベーションは何から生まれるのか。給料、会社そのもの、同僚、上司、客、単に本が好きかどうか、あたりか。でもそれってどこまであるんだろうか、とか考えると微妙な気もする。特に田舎では。某政治番組で、仕事があるとこに住まいを移動する勇気を持つべきとかなんとかいう話があったが、半分正解半分は大間違い。どこの文化大革命かと。イナゴみたいに餌があるとこに移動する労働者たち。いいけど、でも本当に労働者は可換なの?トヨタの現場は熟練作業者の重要性をわかってるみたいだけど。
インターネットは素晴らしい。でもそれは金が絡まない範囲でだと思う。潔癖過ぎるか。アマゾンしかなくなったら、利益はちゃんと再分配されるんだろうかとか。まあどのみち小売だから、卸から製造元までちゃんと分配されるのか。本当かよ。純粋資本主義は信用できないことがわかっているが、不純資本主義は管理主義と純粋資本主義の間の広い範囲のどっかでしかないのだが、本当にバランスとれるのかとか。とりとめなさすぎ。
よくわかんないんだけど、Removeされまくってる。ports.OpenBSD.nuのシステムの問題かね。MLのほうには何もないな。